侍騎兵 秀当
      



01

 港でトレーラーを見送った秀は、ネクタイの結び目に引っ掛けた指を二、三度ぐっと引っぱった。春の匂いをのせはじめた潮風が、緩んだ首筋を優しく撫でてすり抜けたが、秀の気分を回復させるほどの効力は持ち合わせていないようだった。
 今日の仕事がある程度手間取ることは、最初から判っていた。だから秀は、それに対応すべく準備をしてきたつもりだった。それはある程度役立ったのだが、一連の業務を終えるまでにここまで時間が掛かってしまった事実は、決して満足できることではなかった。朝から港に詰めていたのに、もう夕方になっている。ひとつの仕事に丸一日を費やすなんて、効率が悪いにも程がある。
 携帯電話の時計表示にちらっと目をやった秀は、小さなため息をつきつつダイヤルボタンを押して、耳に当てた。聴こえてくる単調な呼び出し音に、まるで追い立てられるような錯覚を覚えながら、大きく深呼吸をして笑みを浮かべる。
「……あ、秀です! すみません、今、港出ましたんで。……いえ、申し訳ないです、すみません。……はい、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
 短い会話を終えて電話を切った秀は、今度は盛大なため息をついた。その表情は、険しい。
 ちょうど先月の今頃も、秀は同じ仕事で手間取っていた。仕事の手順ややり方が悪いわけではない。この場合は不可抗力な部分が大きいし、他の誰に聞いても秀の落ち度だなどと責める者はいないことも判っている。だが、だからこそ何か対策を考えて動かなくてはならないと思っていた。仕方が無くても、仕方が無いで諦めていては、何もならない。何より、自分が諦めたくはない。けれど。
 秀はゆっくりと歩きだしながら、頭の中で今日の業務内容をまとめつつ、それを先月の内容と比べ始めた。
 そのとき、秀の携帯電話がブルブルと振動して、電話の着信を伝えた。機械的な動作で携帯電話を開いた秀は、電話を掛けてきた相手の名前を見て、その身体に妙な緊張感を走らせた。
 それは、羽柴当麻からの着信だった。
 秀は、ちょうど先月の出来事を頭の中に駆け巡らせた。



 ひと月前。
 秀はやはり港に立っていた。足元には、小さな灰皿からあふれ出した煙草の吸殻が何本も転がっていた。それらのほとんどは、秀が作り出した廃棄物である。
 秀の視線の先に停泊している大きな船は、今朝一番に入港した船だった。秀は、それの入港にあわせて港にやって来た。だが、もうとっくに日は暮れている。それだけでなく、船の中にある目当てのコンテナも、未だに運び出されない。
 秀は、今日だけで幾度ついたかわからない、疲れきったため息をついた。もう、イライラすることにも飽き飽きしていた。
 本来ならば、目の前に停泊しているあの船から朝一番で荷物が降ろされるはずだった。そしてさっさと税関を通った後、待機させているトレーラーが荷物を運んでいくはずだった。それを見届けて、午後には別の仕事に出向いているはずだった。
 それが、丸一日港に足止めを食らっているのだ。予定していた別の仕事は、当然キャンセルせざるを得なかった。ここで予定を狂わされているのは、秀だけではない。停泊し続けざるを得ない船舶、それを受け入れている港、荷物を運ぶために待機しているトレーラー、全ての予定が狂い続けている。それら全てが、今この一秒ごとにどれだけの損害を生み出しているのか。秀は血の気が引く思いを抑え切れなかった。
「とにかく荷物を降ろしてくれ! その後だったら検査でもなんでも思う存分してくれていい!」
 そんな言葉を飽きるほど口にした。通関士とも半ば喧嘩のように言い合った。だが結局秀の言葉は、丸一日経ってからしか聞き入れてもらえなかったのだった。
 その仕事がやっと一段落付いた瞬間、秀は安堵に包まれつつ、しかし縋りついてもと言っても言いすぎではないほど悲壮な心持ちで、当麻に電話を掛けていた。朝から思うように運ばない仕事のことで頭がいっぱいで、気がついてみれば缶コーヒーと煙草以外のものを口にしていなかった。仕事の目処が付いた瞬間に、怒涛のような食欲に襲われても致し方ないだろう。そしてこんな場合、呆れつつも黙って(文句を言わずに)付き合ってくれるのは、当麻だ。
 秀は、今日は何が何でも当麻に食事に付き合ってもらうつもりで電話をかけた。今日ばかりは、自分でも少々とは言い難いが、愚痴の一つや二つ、いや四つや五つくらい聞いてもらおう、という魂胆だった。
 だが肝心の当麻が、なかなか電話に出てくれなかった。呼び出し音だけが続く電話に秀が少し奇妙に思った頃、ようやくそれが途切れたと思ったら。
『……よう。いま、ヒマ?』
 電話の向こうから聞こえてきた当麻の声は、ビックリするほどかすれていた。
「お前、なんだその声!」
 思わず問いただした秀に向けられた当麻の返事は、息もつけないのではと思うほどに激しく咳き込む声だった。
 とるものもとりあえず当麻の部屋に走った秀は、そこで自力では動けないほどに衰弱している高熱の当麻を見つけ、救急病院に運んだのだった。
「ただの風邪……で、こんなんなるまで放っとくなよ……。メシも食ってねぇ、水も飲んでねぇって、そりゃ誰でも動けなくなるっつーの!」
 呆れ返った秀の言葉に、点滴を打たれている当麻はばつが悪そうな表情で応えた。
「いや、ほんと口にモノを入れることができなかったんだ。だから、明日は病院に行くつもりだったんだよ。なのに、具合の悪くなるスピードが急に早くなっちゃってさ」
 いや参ったよ、でも本当にいいタイミングで電話をくれたから助かった、ありがとう。
 そう言って素直に頭を下げてくる当麻に、秀は「しょうがねえなぁ」などと少し照れながら応えつつも、釘はしっかりと刺しておいた。「こんな状態になる前に連絡をよこせ」と。もし自分がこの日このタイミングで電話をしていなければ、当麻はどうなっていたのだろうと思うと、身震いを止められない秀だった。
「電話の向こうのお前、本当に酷くて俺ビックリしたんだぜ」
 言うと、当麻は済まなさそうに笑った。
「悪かった。あ、そうだお前、何か俺に用があったんじゃないのか?」
 問われた秀は、当麻に電話した目的を思い出した。その瞬間に、身体のほうも何かを思いだしたようで、秀の腹の虫が盛大に鳴きはじめた。
「…………」
「……いや、べっ、別に、全然たいした用事じゃ……」
 カーッと顔を赤くして口ごもる秀を眺めて、当麻は苦笑した。
「ごめん、ほんと悪かった」
「いや、そうじゃなくて……違うんだ、メシはまあアレなんだけど、っていや、だからー、」
 わたわたと言い訳をする秀なのだが、その秀の腹は主の気持ちになど構わずに、更に盛大にその音を響かせたのだった。
 がっくりと首を落とす秀に、当麻がそっと語りかける。
「秀、本当にごめん。でも、ありがとうな。今日は本当に助かったんだ。このお礼と埋め合わせは、またそのうちするよ。お前のおごりで」
「いや、そんな気ィ使わなくていいって……って俺のおごりかよ!」
 当麻は、熱のせいもあるのだろうが、ふわふわと楽しそうに笑ってくれた。
 その様子を見て、秀はじんわりと心が温まるのを感じていた。一日中、食事もとらずに神経を張り詰めて仕事をし続けていた自分は、確かに腹が尋常じゃないほどに減っていて、精神的にも本当に参っていたはずなのだが、彼のピンチに絶妙なタイミングで手を差し伸べることができた、それだけでこの日の苦労が全て報われたかのような、そんな気持ちになったのだ。
 今日の仕事でありえないほどの苦労をしたのも運命だ。だって、それがあったからこそ、こうやってコイツを助けることができたんだ。秀はそこまで考えていた。
 これが、今からひと月前の話だ。ちなみに、お礼と埋め合わせはまだしてもらっていない。



 その当麻が、今、自分に電話を掛けてきているらしい。
 当麻の風邪が治ってからは、こちらから連絡を入れることもなくなっていた。第一に、秀自身が日々忙しいことがあった。そして当麻は、自分から誰かに連絡するようなタイプでは決してない。だから秀は先月の時点で『何かあったらすぐに連絡して来ること』と当麻に約束させていた。ということは。
 何かあったのか?
 瞬時にそう考えた秀は、妙に汗ばむ指をぎこちなく動かして、通話ボタンを押した。
「もしもし、当麻? 何かあったのか?」
『…………』
「おい、当麻、どうした?」
『…………』
 電話の向こうから当麻の声が聞こえないことが、秀の不安を増大させた。何せ当麻には、動けなくなるまで動かなかったという前科がある。今度は喋れなくなるまで動かなかったのかもしれない、と秀が考えたのは早計だったろうか。
「おい、どこにいるんだ、家か? すぐ行くから、ちょっと待ってろ!」
 半ば怒鳴るように言った秀が、焦りながら足を速めて電話を切ろうとしたその時だった。
『おい。こらっ! おーい!』
 それは間違いなく当麻の声だった。呆れたような、半分怒っているような、そんな響きを持った当麻の声だった。病人の声ではなさそうだ。
「あれ、当麻? なんだ、元気そうじゃねぇか……」
 ホッと安堵しつつ秀が携帯電話を握りなおすと、電話の向こうの当麻が憮然としたような声で応えた。
『当たり前だろう。ったく、何ひとりで勝手に盛り上がってるんだよ』
「だってお前が返事しねぇからさー。また倒れてとんでもねぇことになってんじゃないかと」
『そんなしょっちゅう倒れて堪るか。あのな、お前が電話に出るなり切羽詰ってるから、ビックリして声を出せなかったんだよ』
「あ、あー、悪ぃ。当麻から電話があるなんてさ、何か信じられなくて。咄嗟に何かあったんじゃないかと思っちまったんだ」
『…………』
「ん? あれ、どうした、当麻?」
『や、何でもない。じゃ、まあ、そういうことなんで』
 秀が「え?」と問い返す暇も無かった。憮然とした当麻の言葉が終わると同時に、電話は無常にも切られてしまっていた。
「あれ? 当麻? もしもし?」
 ツーツーという電子音に向かって問いかけたところで、当麻が返事をしてくれるはずが無い。秀は何が起こったのかと唖然としながら、慌てて当麻に電話をかけなおした。
 トゥルルルル、トゥルルルル……
 呼び出せど、呼び出せど。当麻はなかなか電話に出てくれない。
 トゥルルルル、トゥルルルル……
 先月も、当麻はなかなか電話に出なかった。だが今回の当麻は、少なくとも倒れてはいないようだから、その点は安心できる。
 トゥルルルル、トゥルルルル……
 ただ、なんだかちょっと虫の居所が悪いようだけど。
 だがそれにしても、そっちが電話してきておいて、この仕打ちは無いだろう。少なくとも、当麻には説明責任があるんじゃないのか。じゃないと何がなんだか、こちらが気になって仕方が無い。
 と、呼び出し音がプツリと途切れた。
 秀は「おっ」と思ったが、今のやりとりで当麻は虫の居所が悪そうだと感じていたので、少し黙って様子を伺うことにした。
『…………』
 なのに相手も無言のままだ。これではお話にならない。
 秀は、また電話が切られてしまう前に、声を出すことにした。
「おい、当麻? なんなんだ、訳がわかんねえって」
 すると、電話の向こうから盛大なため息が聞こえてきた。勿論、当麻のため息だ。その瞬間、秀は正直「なんだよてめぇっ、俺はお前を心配したのに!」などと思わなくも無かったのだが、幸いそれを声にする前に当麻が口を開いてくれた。
『用が無くても定期的に連絡しろ、って言ったのはお前だろうが。たまたま、今ちょっと手が空いて、先月のこと思い出したもんだから……別に何があったわけでもない。ただの生存報告』
 当麻の言葉に、秀はぱちくりと瞬いた。そして思い出した。
 当麻を病院に運んだ、ひと月前のあの時、こんな会話も交わしていたのだった。


「今度何かあったら、すぐに連絡して来い。絶対だぞ、わかったか当麻!」
「……わかった、約束する」
「いや、待てよ。何もなくても電話入れろよ。うん、それがいい」
「は?」
「決まりだ。最低でもひと月に一回とかさ、生きてますーって連絡入れろ」
「はあ? なんでお前に、そんな無意味なことを……」
「ばーか、何かあってから連絡貰うよりも安心できるじゃねえか! 何かあってから、なんつったらさ、お前から電話が来るたびに俺は『何事だ!』ってドキドキしなくちゃならねえだろが」


 秀は、声にならない声で「ああ……」と呟いた。
「言った。確かに言ったな、俺」
『お前、忘れてたな? ったく、自分から強引に押し付けておいて、なんだよそれ』
 そんな当麻の憎まれ口に、忘れてて悪かったとか、そういうことは言っておかなきゃと、秀は頭では考えた。だけど、そんなことはとても小さなことにしか思えない自分がいた。なんと言うか、何とも言い表せない感情とでも言うのか。そんなものが腹の底から湧きあがって全身に広がっていくのを、秀は感じていたのだ。しかしだからと言って、
「当麻、お前、あんなことを覚えて……」
 これは思わず漏らした言葉にしても、言うに事欠いて、と思われても仕方が無いのではなかろうか。
『あんなこと、かよ』
 苦笑交じりの当麻の声音で、秀は自分の言葉が自分の思いとは違う意味で受け取られたことを理解した。
「あ、そうじゃなくて」
『はいはい、もういいよ。お前がその場の雰囲気に流されて口を付いて出ちゃったってだけのちっちゃな言葉を律儀に守った俺がバカだった』
 声音は落ち着いていながら、早口で一気に言ってくれた当麻に、秀は慌てて叫んでいた。
「違うって、ちょっと待て当麻! 電話切るなよ! 俺が悪かった、ほんとごめん! だから電話切るな!」
『……なんだよ、切るな切るなって。お前ねぇ、俺を何だと思ってるんだ?』
 心底呆れ返ってます、という雰囲気をぷんぷん醸し出した当麻の声が聞こえて、しかし秀は満面の笑みを浮かべた。たぶん、今この瞬間の秀の顔を当麻が目の前で見ていたら、更に呆れられたことだろう。
 だが秀にしてみれば、呆れてても何でも、当麻が律儀にこちらの声に応えてくれていることの方が大事だった。自分が滑稽なくらいに感動しまくっているらしいことを、秀はその全身で感じていた。こちらがすっかり忘れていた小さな約束事を忘れずにいてくれて、無意味だと言っていたのに用も無いのに電話をくれたこと。今、この電話を切らずにいてくれること。
 やべぇ。なんか、やべぇ。
 そんなことをチラッと思いながら、秀はできるだけ落ち着いた声を出そうと、一生懸命に努力していた。
「うん、ごめん。今のは全部俺が悪かった。なんていうか、ありがとな。……機嫌、治してくれよ」
『え? いや、だから。何言ってるんだよ。別に怒ってるわけじゃないから』
 明らかにうろたえたような口調になった当麻の声に、秀の笑みがまた深くなる。本当に、今目の前に当麻がいなくて良かったと、実は秀本人も感じているところである。こんなニヤニヤした顔は見せられない。不審がられて引かれるに決まってる。
「サンキュ」
 と小さく呟いてから、秀は薄暗くなりつつある空を見上げて深呼吸した。少し緊張している自分に驚きながら、良いチャンスだと思い切って、先月はできなかったお誘いを試みてみる。
「なあ、手が空いてるんだろ? じゃあ、今日メシでも一緒しねぇ?」
『今ちょっと休憩に入ってるだけで、この後もずっと暇なわけじゃない』
 当麻の言葉は速攻で述べられ、ちょっとした緊張を含んだ秀のお誘いは、あっけなく蹴られてしまったのだった。
「ああ、そっか。じゃあしょうがねーな」
 なーんだ。なーんだ。なんだかんだ言いつつ俺のいうこと聞いてくれるから、イケるかと思ったんだけどなぁ。なんて頭の中で思いながら、でも仕方が無いものは仕方が無い。そこがわからないほど自分も子供ではない。残念は本当に残念なんだが、また別の機会にするかなー。などと秀は思っていた。のだが。「しょうがねーな」の言葉が、秀自身が思うよりも随分と寂しげな響きを含んでいたことに、秀は気がついていなかった。
 そして秀は、次の当麻の台詞に目を見張ることになった。
『……けど、まあ、たまには……』
「えっ?」
『先月は世話になったことだし。うん、まだあの時の埋め合わせもできてないしな……』
「えっ、本当か? 今日、いいのか? あっ、でも仕事は大丈夫なのか?」
 今度は、秀も自覚した。自分自身で恥ずかしく思う程度に必死な台詞回しだったと思う。
 秀が思わず「うわ」と思って汗と一緒に握りなおした電話の向こうから、バサバサと書類をひっくり返すような音が聞こえてきた。やたらと忙しないBGMの中、当麻の声がどことなく心地よい響きとなって秀の耳に届く。
『お前こそ、仕事は? 定時で上がれるような仕事してんのかよ』
 当麻の言葉は尤もで、今はまだ、ぼちぼちそこいらの企業の定時になろうかなという時刻であった。
「ああ……俺は、今日はもういいんだ。当麻から電話が掛かってきた時さ、丁度終わったところだったんだ」
『早いな』
「ん、まあ。今日は一日現場に詰めてて」
『なるほど』
 会話の最中も、当麻の周囲は書類やファイルがひっきりなしにバサバサと忙しない音を立てている。だから秀は、肩を竦めつつ笑い声を漏らしながら言った。
「だから俺は平気なんだけど。……いいぜ、忙しいんだろ? また今度つきあってくれよ。じゃな……」
 秀は、笑ったつもりだった。軽い口調で言ったはずだった。埋め合わせとかお礼とか、彼自身に余裕の無いときに無理にして貰っても嬉しくない。ていうか、無理してくれようとしたその気持ちだけで、大満足だ。
 だが、それに返してきた当麻からの返事が、妙に焦ったようなものに聞こえたのは、秀の気のせいなのだろうか。
『いや、ちょっと待てって! ……なんかお前、最近なんでも勝手に決めすぎだぞ』
「え?」
 なんだ、どういう意味だ?
 秀が首を捻る間にも、当麻は言葉を続けていた。
『いや、俺は別にそれでもいいんだけどさ。……えー、と、お前、今どこにいんの?』
 突然の質問に、秀は思わず周囲をキョロキョロと見回していた。
「え? あ、えーと、港。横浜の。埠頭」
『ふん。で、どこ行く? オススメとかないの?』
「あー、お前が便利なところ?」
『……そうか。じゃあとりあえず品川で落ち合おう』
「わかった。けどお前、本当に仕事……」
『今、埠頭にいるんだろ? だったらお前が移動してくる間に、余裕で片付けられる。俺を誰だと思ってるんだ。ちゃんと終わらせてから行くから、心配すんな』
 当麻はそう言って、電話を切った。
 心配すんな、なんて言っていたが、電話が切れる直前、彼が複数の人間から一斉に名を呼ばれた声を、秀はしっかりと耳にしていた。周囲の人間は、当麻の仕事中の(当麻は休憩中と言ってはいたが)長電話の相手にやきもきしていたのではないだろうか。
「調子こいちまったかな。本当は忙しいんだろうに、無理しちゃって」
 電話を眺めて呟いた秀だったが、自分で言った言葉ながら「無理しちゃって」というフレーズが妙に気になってしょうがなかった。
 当麻自身が言ったように、当麻のことだから本当に自分の移動時間で余裕で仕事を終えてくるのかもしれない。が、もしかしたら無理して頑張って来てくれるのかもしれなくないか? 無理してくれなくてもいい、と思う気持ちも本物だが、でも、これがもし本当は無理してでも、というのだったらどうだよ。ちょっとやばいよな。それやばくねぇか。あれ、俺やばくねぇか?
 自分の思考というか、これはいわば妄想の域ではないかとも思えるのだが、そんな考えで混乱しかけた秀の耳に、大きな汽笛の音が飛び込んできた。その音ではっと我に返った秀は、犬のように頭を一振りすると、気を取り直したように足早に歩き出した。



      
侍騎兵 秀当